のんきものでいこう

ゆるゆるレビュー

オンライン化で「学校に行く意味がない」?

 

今日は学校で畑仕事をしたので、ちょっと疲れました。

いや、かなり疲れました。

なのであんまり頑張らないでブログ更新を図りたいなと思うのですが。

 

午前中に職員室で仕事をしているときに、とある先生がこんなことをお話ししていましいた。

 

「オンライン授業とかは反対。学校に行く意味がないという風に言われ始めちゃう」

「社会の働き方はたしかにそうなっていくかもしれない。でも学校はみんなで教室で学ぶところに良さがある」

 

ざっくりいうとこんなところです。

それについてその場で反論こそはしませんでしたが、思ったことを。

(雑談の延長で言い合いになったら職員室の雰囲気が悪くなると思ったので反論せず)

 

 

学校に行く意味は無くなるのか

 

僕が思うに、たぶん「NO」です。

そもそも授業の受け方を全面的にオンラインになることはないと思いますし、技能教科のことだってありますし、学校に行く意味はあるでしょう。

ただ、授業の受け方は選択できるようになっていくと良いなと思っています。

対面式で参加するのも良いですし、オンラインで別室または自宅から授業を見て聞けるというのも選べたら良い。

例えばインフルエンザ等の出席停止や親族の逝去による忌引きで学校を休むこともあるでしょう。

発熱もおさまって体は元気なんだけど、出席できないという場合にオンラインで授業を受けるというのはメリットになるはずです。

 

あと、特別支援学級を受け持っている身としては、集団に参加できない子供にとって、オンラインでの授業参加は魅力的です。

特に自閉症・情緒学級の子どもたちは、知的なビハインドは基本的に持っていないケースも少なくないんじゃないかと思うので、通常学級の子どもたちと同じ内容を同じ速度で学習できるに越したことはないと思います。

まあその子の教育ニーズによるんですけどね。

 

双方向でのやりとりができるのか(対面とリモートが混同した状況でどう折り合いをつけるのか)とか、プリントの渡し方はどうするとか、そういう問題は生じてくるでしょうけどね。

 

で、学校に行く意味に話を戻すと(だいぶ逸れていましたね笑)、

学校は「確かな学力」だけじゃなく「豊かな心」や「健康・体力」を身につける場でもあります。

なので基本的には「学校に行ったほうが良い」と捉えるのが自然だと思います。

学校に行く意味がなくなるのはまず無い。

 

授業の景色は変わるかもしれませんが。

全員が着席していない、モニター越しで参加している子もいる…とか。

 

学校に行かないからといって、社会に出られない人間になるというわけでもないですしね。

ユニバーサルデザインの選択肢として持っておいても良いと思います。

 

 

学校はみんなで教室で学ぶところが良いのか

 

それはそれで間違いなく「良い」と思います。

集団生活を学んでいくこともできますし、それが組織の中に入って働くということにも繋がっていくでしょう。

何よりも「みんなが仲間」みたいな雰囲気が楽しいのだと思います。

 

でもそれは価値観のひとつに過ぎないし、「ぼくはそういうの苦手」と思う子もいると思います。

「苦手だからこそ克服するんだ、それが成長なんだ、学びなんだ」という考え方もできますが、教師が持っている価値観の押し付けになっているかもしれません。

 

寺子屋は寺子屋でそれは今の学校にない「良さ」があったんだと思いますし、今の学校には今の学校にしかない「良さ」があるのでしょう。

そして新しい生活様式となった時代で、その時代の学校スタイルにしかない「良さ」もきっとあるはずです。

社会の変化とともに学校も変わっていくべきです。

いつまでも「今のままで」と言っているのは、アリアハンの周辺でスライムやおおがらすを狩っているのと一緒です。

マサラタウンにいるままなのです。

ジミナ村にいるままなのです。

 

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初めてのことなので分からないことだらけだし不安も大きいし失敗もたくさんするでしょう。

でも、ドキドキやワクワクもあるかもしれません。

 

何よりもまた再度休校措置が取られる事態になるかもしれません。

コロナだけじゃなく、自然災害によってそうなるかもしれません。

「オンラインでも授業ができるスキル」は試行錯誤しながらでも身につけておかないといけないでしょう。